人生を変えた闘病、会見、死……逸見政孝とたけし、小林麻央と海老蔵
昭和から平成へと移りゆく「時代」の風景が見えてくる「平成の死」を振り返る。
■世界のミュージックシーンを席巻したレジェンドの衝撃的カミングアウト
最後に、平成初期にはガンよりも怖れられていたAIDSによる死に触れておこう。Queenのボーカルとして世界的に人気を博したフレディ・マーキュリーが、45歳で亡くなったのは平成3年。闘病中、ブライアン・メイに壊疽でそのほとんどが失われた片足を見せ「こんなものを見せてしまってすまない」と謝ると、長年の友は「君がそんな痛みと闘っていたなんて」と嘆いたという。
亡くなる前日にはAIDSであることを公表したが、同性愛者だとされる有名人の告白と直後の死は衝撃をもたらした。ただ、それから30年近くがたった今、この病は不治ではなくなり、同性愛をめぐる考え方も変わりつつある。平成30年には映画『ボヘミアン・ラプソディ』が日本でもヒットして、フレディ人気が再燃。多くのメディアがとりあげるなか『SONGS』では古田新太がこんな讃辞を捧げた。
「なんでしょうね、フレディが気持ち悪いっていうのが、どうしてもありましたね。美学にその独特のものがあるというか」「なんでヒゲはやしたまま女装してたんだろうな。数多くのそんなことしちゃっていいんだ、っていうのを教えてくれたバンドだと思います」
そんな古田は現在『俺のスカート、どこ行った?』で女装趣味の中年ゲイ教師を楽しそうに演じている。こういうキャラが主役のドラマが普通に放送されるようになったのも、フレディらの功績だろう。
人は死んでも、誰かのなかで生き続け、その生き方を変えたりする。それもまた、人に与えられた幸せかもしれない。
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『平成の死: 追悼は生きる糧』
鈴木涼美さん(作家・社会学者)推薦!
世界で唯一の「死で読み解く平成史」であり、
「平成に亡くなった著名人への追悼を生きる糧にした奇書」である。
「この本を手にとったあなたは、人一倍、死に関心があるはずだ。そんな本を作った自分は、なおさらである。ではなぜ、死に関心があるかといえば、自分の場合はまず、死によって見えてくるものがあるということが大きい。たとえば、人は誰かの死によって時代を感じる。有名人であれ、身近な人であれ、その死から世の中や自分自身のうつろいを見てとるわけだ。
これが誰かの誕生だとそうもいかない。人が知ることができる誕生はせいぜい、皇族のような超有名人やごく身近な人の子供に限られるからだ。また、そういう人たちがこれから何をなすかもわからない。それよりは、すでに何かをなした人の死のほうが、より多くの時代の風景を見せてくれるのである。
したがって、平成という時代を見たいなら、その時代の死を見つめればいい、と考えた。大活躍した有名人だったり、大騒ぎになった事件だったり。その死を振り返ることで、平成という時代が何だったのか、その本質が浮き彫りにできるはずなのだ。
そして、もうひとつ、死そのものを知りたいというのもある。死が怖かったり、逆に憧れたりするのも、死がよくわからないからでもあるだろう。ただ、人は自分の死を認識することはできず、誰かの死から想像するしかない。それが死を学ぶということだ。
さらにいえば、誰かの死を思うことは自分の生き方をも変える。その人の分まで生きようと決意したり、自分も早く逝きたくなってしまったり、その病気や災害の実態に接して予防策を考えたり。いずれにせよ、死を意識することで、覚悟や準備ができる。死は生のゴールでもあるから、自分が本当はどう生きたいのかという発見にもつながるだろう。それはかけがえのない「糧」ともなるにちがいない。
また、死を思うことで死者との「再会」もできる。在りし日が懐かしく甦ったり、新たな魅力を発見したり。死は終わりではなく、思うことで死者も生き続ける。この本は、そんな愉しさにもあふれているはずだ。それをぜひ、ともに味わってほしい。
死とは何か、平成とは何だったのか。そして、自分とは――。それを探るための旅が、ここから始まる。」(「はじめに」より抜粋)